ほっこくブログ ~潟のエトランゼ~

来訪者から見た北國のすがた

宮地廃寺跡塔心礎 加賀市指定文化財

小松加賀線を車で走っていると、田んぼの一角に黒っぽい岩が転がっており、傍らに立て看板が見えた。

気になったので車を停めて近くに寄ってみると、白鳳時代の寺院の遺跡(塔の基礎)とのことだ。表題の通り、加賀市文化財に指定されている。

 

行政区画としては加賀市宮地町に含まれるらしいが、なにせ田んぼの中なのでこれといった公な住所はない。

面白いのは、寺院そのものはその心礎石を除き遺構は殆ど残されていないのに、「テラノマエ」などの寺院に関する地名が小字として残っていることだ。

建物がなくなり、住人が移り変わっても、土地の呼び名だけが残り続けるのはなんとも面白いことである。

 

GoogleMapで得た緯度経度は下記の通り。

36.350526,136.340179

JR北陸線 前川の煉瓦の橋梁

JR西日本 北陸本線小松駅-粟津駅間に、木場潟から日本海に向かって流れる前川を跨ぐ橋梁がある。
間近で見てみると上り線側の橋脚が煉瓦造りであることがわかった。

恐らく北陸線開業当時から使用されているものだろう。

煉瓦造りの橋脚は小松駅-粟津駅間では唯一ではないだろうか。

 

前川ではここ数年で護岸工事が進行したことで辺りは整然としてきたが、
水運の栄えた頃の昔ながらの川沿いの面影は薄れつつある。

北陸線含む各地の鉄道の開通が、その水運の衰退の一因となったことを思えば、
まさに因果応報を感じる古い橋脚とこぎれいな護岸の対比である。

南詰から小松方面を望む

上の写真の拡大図 煉瓦造りであることがわかる

粟津側の橋脚 鋼鉄でできた2017年製の橋げたと対照的

 

蓮如も蟻を踏んだか

吉崎という、福井と石川の県境の地にこれといった用もなく立ち寄る。
そこには県境の館という小さな資料館がある。
その名の通り県境を跨ぐように設置されており、ここが県境ですよと、床に線が引いてある。
主にこの地に関わりの深い蓮如上人に関する説明書きがあり、あとは界隈の観光スポット等を紹介している。
そこの奥さん(学芸員さん?)に、一度は行ってみて下さいと強めに推されて、館から数百メートル離れた丘の上にある吉崎御坊跡を訪ねた。

 

別院の横を通り抜ける参道には、室町時代から存在する参道です等と書かれた看板があった。なるほど蓮如上人も歩いたのか、などと思わせて感慨に浸らせようというわけだ。
鬱蒼とした木陰の階段を登ると少し開けた場所に出る。この広場が吉崎御坊という、昔でいうお坊さんの研修センター的な施設の跡地だ。

これといった感想はなく、広場をぐるり一周しながら何か往時の遺構があるのかしらと探してみたが、よくわからなかった。そもそもあまり興味が無かったから、目に付かなかっただけかもしれなかった。
山の法面の工事中ということもあり、そこらに鉄骨やら敷き途中の真新しい砂利やらが柵に覆われた状態であり情緒にかけるなぁと思ったが、山肌が崩れたらいけないので仕方ないと思って山を降りた。

 

再び先程の室町時代からあるという参道を歩いて降りているとき、行く手を横切る蟻の行列が目についた。
吉崎のお坊さん達は、蟻を踏んだだろうかとふと思った。

 

戦国時代、長く百姓の持ちたる国とされた加賀地方は、戦うお坊さん達の国でもあったらしい。百年近く諸侯と渡り合ってきた屈強なお坊さんたちは、どのような信条をもって武器を手に取り、命のやり取りに身を投じたのだろうか。

命がけでお侍さんと戦っているときに、足元を這いつくばる小さな虫の命を気にするだろうか。虫に気にとられ油断した隙を突かれたお坊さんもいただろうか。虫も人も、殺してしまった後に、お経を唱えたのだろうか。

 

参道を下り終えるとお土産屋さんらしいお店が軒を連ねる。
そのうちの1店舗だけ開いていて、うす暗い店内で店番らしきお婆さんがうつらうつらしているのが見えた。

人の生活や命が簡単に踏み潰された荒々しい時代に思いを馳せるには、あまりに静かで平和な光景だった。
県境の館の奥さんは、ふらり立ち寄った私みたいな人間に対しても熱心に色々と教えてくれたが、このあたりには信心深い人が多いのかもしれない。

ほっこく温泉記 寺の温泉にて

昔ながらの集落の中、狭い路地を行くとその温泉はある。廃寺を再利用したらしく、建屋の外観からして寺。鐘楼にはちゃんと鐘も吊ってある。細い道を挟んで隣にはフィットネス施設があり、古めかしさのなかにどこか現代的な清潔感が漂う界隈である。リニューアルされた本堂は畳敷きの休息スペースになっていて、そこで食事ができ、酒も飲める。

日によって男風呂と女風呂が入れ替わるようで本日の男湯は猿の湯という。温泉に親しまずに育った私のような人間は、濁り湯というだけで俄かに興奮。洗い場の定員は5人と、いわゆる総湯などと比べると手狭であるが、木製の浴槽や風呂桶、暖色系の照明でもって、普通の公衆浴場にはない有難味を演出している。

露天風呂もすごく良い雰囲気。しっかりデザインされていると思った。お湯に浸かりながら、夕暮れ時の青空を渡り鳥の群れが散開しながら飛んでいくのを見上げるのは最高に気分が良い。照明にも気が配られている。ランタン風の電飾に集まった虫を食べにきたイモリが板壁を這う姿すら趣がある。髪を洗ってからもう一度露天風呂に浸かりにいく。独特なお湯の匂いを嗅ぎながら夜空を仰ぎ一番星、二番星と数えるのも一興。

さてと風呂から上がりぽんぽんと体を拭いていると、脱衣場に居る私以外の二名の顔貌がやけに厳ついことに気づいてしまう。片方は刺青こそ入ってないようだがヤクザ映画にでも出てきそうな顔つきだし、僕のすぐ横では宇梶剛士を太く短くしたみたいなパンチパーマの男が全裸で扇風機の風に当たっている。両名とも堅気の人なのだろうが、これは妙に緊張感のある脱衣所になってしまったと思った。かくいう私も控えめに言って決して人相の良いほうではない。そんな三名が6畳ほどの脱衣所で黙々と支度をしているのだから、他の利用客から見ればすこし異様な光景である。

それはいいのだが、さっきからその太短い宇梶剛士の方は、一糸まとわぬ股間をあけっぴろげにして扇風機に正対するかっこうで仁王立ちしている。勢いよく回る扇風機からの風が、宇梶の股ぐらをくぐって後方にゆらゆらとカルマン渦列を発生させている。

その風下に私がいる。別にいいんだけど、風がすごい私の方に来る。宇梶が扇風機の回転数をピピっと上げて風はさらに勢いを増す。ただの風ではない。宇梶の風だ。体表を覆い守るための諸々を今さっき洗い流したばかりの丸裸の私に、風に乗った宇梶のエッセンスがビシバシ当たる。

芦城 喫茶フローラにて一服

芦城公園の梅の花びらがささやかに開きはじめたのはもう二週間近く前のことだ。
ほっこくにも春の足音が近づいている。

さて、芦城公園からほど近いフローラという喫茶は、私の知る限り市内きってのレトロ喫茶である。

特に窓際の席は良い。店内はバロックの流れる洋装、窓から見えるお庭は苔むす和空間。それらふたつを同時に楽しめる贅沢がある。私はいつもそこに座って、和と洋の間をひとり静かに振動している。誰もそのことには気づいていない。

こういう昭和的雰囲気の心地よい喫茶には、煙草の煙がつきものである。この店もしかり。分煙は成されていない。
私は煙草が苦手であるが、昭和の喫茶は好きなので、ここを分煙にしてほしいとは言えない。
こういうところに来たら、煙草の匂い含め、昭和という時代そのものを丸ごと愛す他ない。

ちなみに肝心の珈琲そのものもとても評判が良い。
コーヒーの美味しさや味の違いを説明出来ない自分を、私はいつも残念に思う。

小松にて小松未歩を聴く

寒い夜、すき家に行くためあえて家を出る。
珍しく空気はよく澄んで、星も見えた。

すき屋では、すき屋レイディオという店内放送がかかる。
すき家レイディオでは、毎月曲を募集している。
幾度となく応募しようかと思いはしたものの、今まで実行に移したことはない。
どうせ私好みの曲なんてかけてもらえないと思っていた。

ところが今月になって小松未歩の「謎」が流れはじめた。まさかのど真ん中である。
「この世であなたの愛を手に入れるもの」
この歌い出しを聞いただけで、いつものすき家がノスタルジーに包まれる。
視界はセピア色がかり、少年時代のめくるめくあれやこれやがフラッシュバックした。
懐かしさに打ちのめされて牛丼を口へ運ぶ右手も覚束ない。
こういう意外なところからの不意打ちに、私の琴線は必要以上にぶるんぶるん震わせられる。震えすぎて千切れるかと思った。

すき屋レイディオに何か応募したくなった。

雪が降る

明日から気温が下がるという。
今日は久しぶりに雪が降るのを見た。

今シーズンは随分とあたたかく、北国1年目の私からしたら本当に助かった。
本当に暖かすぎて、冬の寒さを忘れていた。
うっかりぷらぷらと秋物のコートで出歩いて死んでしまいそうだ。

北陸の民の話を聞いていると、どうやら雪は段々と少なくなってきているそうだ。今から2~30年前はもっともっと雪が降っていたとのこと。

年中サンバを踊っているような常夏の故郷からこちらへ移り住んだ私としてはその気候変動は歓迎なのであるが、古参の方々は寂しげである。