ほっこくブログ ~潟のエトランゼ~

来訪者から見た北國のすがた

蓮如も蟻を踏んだか

吉崎という、福井と石川の県境の地にこれといった用もなく立ち寄る。
そこには県境の館という小さな資料館がある。
その名の通り県境を跨ぐように設置されており、ここが県境ですよと、床に線が引いてある。
主にこの地に関わりの深い蓮如上人に関する説明書きがあり、あとは界隈の観光スポット等を紹介している。
そこの奥さん(学芸員さん?)に、一度は行ってみて下さいと強めに推されて、館から数百メートル離れた丘の上にある吉崎御坊跡を訪ねた。

 

別院の横を通り抜ける参道には、室町時代から存在する参道です等と書かれた看板があった。なるほど蓮如上人も歩いたのか、などと思わせて感慨に浸らせようというわけだ。
鬱蒼とした木陰の階段を登ると少し開けた場所に出る。この広場が吉崎御坊という、昔でいうお坊さんの研修センター的な施設の跡地だ。

これといった感想はなく、広場をぐるり一周しながら何か往時の遺構があるのかしらと探してみたが、よくわからなかった。そもそもあまり興味が無かったから、目に付かなかっただけかもしれなかった。
山の法面の工事中ということもあり、そこらに鉄骨やら敷き途中の真新しい砂利やらが柵に覆われた状態であり情緒にかけるなぁと思ったが、山肌が崩れたらいけないので仕方ないと思って山を降りた。

 

再び先程の室町時代からあるという参道を歩いて降りているとき、行く手を横切る蟻の行列が目についた。
吉崎のお坊さん達は、蟻を踏んだだろうかとふと思った。

 

戦国時代、長く百姓の持ちたる国とされた加賀地方は、戦うお坊さん達の国でもあったらしい。百年近く諸侯と渡り合ってきた屈強なお坊さんたちは、どのような信条をもって武器を手に取り、命のやり取りに身を投じたのだろうか。

命がけでお侍さんと戦っているときに、足元を這いつくばる小さな虫の命を気にするだろうか。虫に気にとられ油断した隙を突かれたお坊さんもいただろうか。虫も人も、殺してしまった後に、お経を唱えたのだろうか。

 

参道を下り終えるとお土産屋さんらしいお店が軒を連ねる。
そのうちの1店舗だけ開いていて、うす暗い店内で店番らしきお婆さんがうつらうつらしているのが見えた。

人の生活や命が簡単に踏み潰された荒々しい時代に思いを馳せるには、あまりに静かで平和な光景だった。
県境の館の奥さんは、ふらり立ち寄った私みたいな人間に対しても熱心に色々と教えてくれたが、このあたりには信心深い人が多いのかもしれない。